わたしたちの福祉サービスが誕生するまで

徳竹順一(法人代表)

 福祉の「福」の字にも「祉」の字にも幸せの意味があることを教えていただいた須坂市社会福祉協議会に就職したのは、平成5年、私が27歳の時でした。「福祉(介護、障碍、児童)」の世界を知ってから、早いもので30年になります。(後述※1)

 20代の若いときは我欲が強く自己の満足を満たすことしか考えない性格で、他欲や他人の幸せに心を寄せることなどなく生きてきました。
 しかし27歳で初めて「福祉」の世界と出会う事で、自身の性格の浅はかな部分に気づかされ、福祉的な支援が必要な人(利用者・家族)に自分は何ができるかと、徐々に思いを寄せるようになりました。

 平成19年41歳の時、私は“自分自身が利用したくなる”或いは“自分も大切な家族を任せられる”と思える介護が出来る場所を模索するために、須坂市社会福祉協議会を退職し、他の福祉施設で働くようになりました。そして平成22年4月、44歳で須坂市豊丘地区に宅幼老所「なずな豊丘」を開設しました。
 私が考える“自分が利用したい、安心して家族を任せられる場所”とは、そこが自宅以外の福祉施設であっても、或いは実際の自宅であっても、自身が若いころと変わらぬ“幸せ”を感じる事ができる“わたしのお家(うち)”であることです。そのためのサービスを、支援が必要な方々に提供する事が私自身のすべき事=“使命”と考えました。

 しかし私にはそれまで法人経営などの経験は全くなく、開設当初からしばらくは、経営の厳しさや難しさに泣きながら、幾度となく閉鎖を考えました。

 しかし今日まで歩むことが出来たのは、私自身の考え方を理解し、いつも笑顔で明るく利用者に接してくれる職員の存在と、ご利用していただけるご本人の笑顔があったからでした。また周囲にお住いのみなさん、福祉関係者の諸先輩のお陰であることも間違いありません。そんな皆さんの応援を受けながら「今」があることを感謝する日々です。

 その後平成28年にはデイサービスの“お福星”、平成30年に養護老人ホーム“そのさと”、そして令和3年に訪問介護サービスの“となりのきんぎょ”を開所しました。
 私が開いたこれらの施設はすべて“わたしのお家”を目指し、在宅で生活に困っている何らかの困窮者の福祉につながるような場所を育てたいと思いから創りあげてきました。

わたしたちの存在価値

 自分がこうしたソーシャル(社会的)ビジネスに取り組んできた理由は、自分が「人の為に出来ること」と、「人が暮らしの中で何か困ること」に焦点を当て、少しでも問題が軽くなる事や、解決できる方法を一緒に考えてあげる事ができる、そんな社会的な側面を持つサービスをいつも頭に思い描いてきたからです。また、そのサービス提供場所は生まれ育ち…慣れ親しんだ郷里でもある須坂市中心の須高地域一体であり、この3 市町村の圏域を想定しています。
 また、社会インフラの一つとして、ソーシャルビジネスは昨今の世の中には不可欠なサービスであり、人類が直面する未知の感染症や気候変動による自然災害等、人々の叡智だけでは制御できない困難な課題が発生した時にも…人々が必ず必要とするサービス(ソフトインフラ)に他なりません。
 そこで、将来益々進む高齢化や過疎化が懸念される地方の小地域における社会サービスの充実と浸透を図り、地域包括ケアの一部として種々の事業展開を模索する中で、大規模事業者にはその役割があり、自分が経営するような小規模事業者の存在が、どこにも当てはまりにくく生きづらさを感じている人々の心の隙間を埋めて、ささやかでも幸せな福祉感(心のビタミン)を与え、笑顔で暮らすことを支援できるサービスをこれからも育てていきたいと思います。

※1 私たちが考える“福祉”という言葉の意味

“福祉”という言葉は“福”+“祉い(さいわい)”で、「しあわせ」を意味する言葉です。 「さいわい」と言えば「幸い」という表記が一般的ですが、「祉い」とも書きます。「祉」という字の成り立ちは「神・祭り・運」などに関係する「ネ(示す偏)」と「止まる」という字の合体で「神がとどまる=幸福。めぐみ。」という意味を持った漢字で、神からの恩恵が「自然の恵み」や「社会全体の幸せ」につながる事も意味します。